赤穂浪士の熱烈な崇拝者だった初代住職(現住職は4代目)が、四十七士のお墓のある本家、芝・髙輪泉岳寺に、義士墓建立と寺名の変更を陳情、当初は許可が出ませんでした。時が経ち2代目住職(初代の孫)が祖父の志を受け継ぎ、何度も陳情を続け、昭和27年12月初旬、ようやく泉岳寺より内諾の吉報を受けることができました。その後、昭和28年2月4日、つまり四十七士切腹の日に、泉岳寺より「北泉岳寺と名のってもよい」という承認書が届き、大石内蔵助はじめ義士の墓の土を四十七個の木箱にわけて持ち帰り、昭和31年に墓所をつくり、盛大な開眼、入魂祭を挙行したのです。「北海道義士祭」は、こうした祖先の功労を経て、今も、討ち入りの12月14日に開かれている伝統のお祭です。